感謝の気持ち
昨年の秋のお彼岸の頃、所用で京都に出かけたときのことです。たまたまワンマンの路線バスに乗っているとガヤガヤと女子高生が乗ってきました。いまどきの女子高生は当地でも京都でも同じです。バスの中でも楽しそうに会話に花を咲かせていました。いくつかのバス停を通り過ぎ、あるバス停でその女子高生のうちの数名が定期を見せながら降りてゆきました。その時、そのいまどきの女子高生たちが運転手さんに「ありがとうございました」と口々に御礼を述べて降りてゆきました。 その口調に京都の雰囲気が入っていたかどうかはもう忘れてしまいましたが、秋の京都の心地よい雰囲気とともに、なんとなくほのぼのとしたうれしい気持ちになりました。「そういえば自分らも誰から教わったか忘れたけれど門司港の桟橋通りで路面電車を降りる時には定期を見せながら「ありがとうございます」って言ってたかな・・・・・」と昔のことをふと思いだしました。
我が家でも小さな患者さんたちが帰り際にペコリと頭を下げて「ありがとうございました。」といって帰ることがよくあります。元気に言う子。はっと思い出したように言う子。保護者の方から「治療が終わったら皆さんにちゃんと御礼を言うのよ!」と言われたであろうことも容易に想像できます。時には保護者の方が子供さんの頭に手をやり、「御礼を言いなさい」てなことがあったります。でもどんな「ありがとうございました」でも、その瞬間、診療室や待合室にいる他の患者さんたちもほのぼのとしたよい雰囲気に包まれます。小さい患者さんだけでなく、患者さんから御礼の言葉やお手紙をいただくと住人やそのスタッフの胸はジーンとして熱いものがこみ上げてきます。
かっこいいことを言うようですが、住人や我が家のスタッフはその瞬間のために仕事をしているようなものです。御礼をいっていただけることを生業(なりわい)としている我が家の者たちはなんと幸せ者でしょう。そしてこの患者さんの感謝の気持ちは技工士さんなどの裏方で我が家をサポートしてくれている皆さんにも伝えないといけないと思っています。
一方、こんな山奥にまでわざわざ来てくださる患者さんに、住人は感謝に堪えません。本当にありがたいことです。
外食のときに「お金を払っているのに何で御礼を言わないといけないの?」と考えている方もいらっしゃるようですが、少し寂しい気がします。 住人はコンビニで買い物をしたときなども、レジのお兄ちゃんに「ありがとう」と言う様に努めております。宗教的なことを引き合いに出すまでもなく、すべての人や物や事に感謝できる人間になれるといいなと考えます。
「感謝の気持ち」の連鎖で、みんながホンワカした「いい気持ち」になるといいですね。