一日何回歯を磨きますか?
ある日の子供との会話である。
住人 「勉強せんといけんのやろ?」
子供 「わかっとる」
住人 「わかっとるんやったら、勉強せな!」
子供 「勉強しよる」
毎回同じやり取りの繰り返しだが、成績が上がったという報告はない。
全て親である、住人の責任である。
知行合一いう言葉がある。
「そんなこと知っている」でなく、「そんなことすでにやっている 」でないといけないという教えであるが、さらに第3者から「あの人は出来ている」と評価されるのは大変である。
知り得ていることを実行することは容易ではない。さらに実行したことが目的を達成するのはさらに容易ではないと思う。
以前、朝の番組で「お口の中の清潔さとガンの関係」について報道している時、一日の歯磨きの回数が話題になった。
女性司会者 「皆さん1日何回歯を磨いてらっしゃいますかぁ?」
解説委員の一人 「1日1回っ」
一瞬スタジオ中が凍りついたように「シーン」となった。
番組の流れをスムーズにするには3回が正解であろう。
知識人であるはずの解説者が1回と言うのは予期せぬ出来事だったのであろう。周囲のコメンテーターは口々に3回と言い、みんながその解説者に白いまなざしを投げつけていた。
そのコメンテータは多少狼狽していたが、このコメンテータの勇気に住人は好感を持つ。
「食べたらみがく」ということはもはや常識であり、小学生でも知っていることであろう。
仮に本当に一度しか磨いてなくても、テレビの表向きの発言として、「3回磨いている」といっておけば波風は立たなかったと思われる。
逆に住人が心配するのは 自慢げに3回と言っていた他のコメンテーターは本当にプラークコントロール出来ていて、歯では苦労していないのであろうか。
それならよいのだが、3回磨いていても、365日歯ブラシが全く当たっていない場所がある人も結構いる。
「今まで歯なんかろくに磨いたことないが、入れ歯ではない」と言われる高齢の方がおられるのは事実であり、遺伝的な要因や全身的な病気が原因でむし歯や歯周病になりやすい方がおられて、「一生懸命磨いているんですが・・・」と悩んでらっしゃる方がおられるのも事実です。むし歯や歯周病になりやすい人、なりにくい人という差があるのは確かです。
けれども、そのような特殊なケースはごくまれであり、多くの方の場合、問題は3回磨いていることではなく、100%汚れが落とせているかどうかである。
このような理由から、我が家では患者さんにこのように説明している。
「朝の忙しい時間や、職場での昼食後は磨けてなくてよいので、夜寝る前に時間をかけて、その日の汚れを確実に落としてから、お休みになってください。」
子育て中の保護者の方が、1日3回子供の歯を完璧に磨いてあげることなど、どだい無理な話ではないでしょうか。
自慢にならないが、住人の子供にそのようなことは出来ていない。
もちろん1日3回磨いて、そのたびにじゅうぶん(10分以上くらい)時間をかけて、フロスや歯間ブラシも併用して、100%汚れを落とすことが教科書的であり、理想である。
でも多くの人はそこまでしなくても、急速にむし歯は進行しないと思われる。むしろ3回磨いているがそのたびに100%汚れが落とせていない人がほとんどではないだろうか。
毎回80%,80%,80%磨けている人でも毎日20%が常に磨き残しになっていることになる。
いささか乱暴な議論であるが、0%、0%、100%の人がいたとしたら、どちらがむし歯や歯周病になりにくいか議論の余地があるのではないかと思う。
何事も「やっている」のと、「出来ている」には大きな差があると住人は思う。
これと同じような話で、「私は電動歯ブラシを使ってますから・・・」(歯が磨けてないなんていわせないわよ・・・)と黄門様の印籠のように半分脅しのように言われる方がいらっしゃる。
問題は「3回みがいている」「電動歯ブラシを使っている」ではなく、みがけているかどうか。つまり結果が出ているかどうかではないでしょうか。患者さんにこの理屈を説明しても気分を害される方が多いので、多くの歯科医や衛生士はこのことについて口をつぐんでいると思います。
大きな大人が「あなたは歯が磨けていない」と歯科医や若い衛生士から言われたくない患者さんの心理も十分理解できます。
冒頭の親子のような会話は歯科医と患者の間ではまずありえないことです。
中には患者さんのことを本当に気遣い、患者さんに気付いてもらって、患者さんに意識と行動を変えていただくことに熱心な歯科医院もあれば、諦めている医院もあるかもしれない。患者さんに嫌われたくないですから、どちらかというと後者が多いのではないかと思います。
1日3回磨いていても電動歯ブラシ使っても むし歯や歯周病が進行してしまっては「3回磨いていたのに・・・」「電動歯ブラシ使っていたのに・・・」と嘆いてもそれは患者さんにとって不幸なことです。
「勉強しようが、しまいが、その結果として、子供が不幸になることは親として不幸なことだし、勉強しなくても子供が幸福であれば、それでよい。」というのが一般的な親心ではないでしょうか。
だから、自分の反省から子供に「勉強、勉強」言うのだと思います。これが親心です。
しかし、優しい先生、優しい医師が喜ばれる時代です。
親心は疎まれる時代です。先生や医師も大きなお世話は焼かないのがスマートなようです。これはある意味不幸なことです。